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名経営者 小林一三・岩切章太郎の経営に学ぶ その2
一歩先の見えるものだけが成功者である
ダイエー創業者中内功氏の評価は、「毀誉褒貶」相半ばするものがあるが、一時代を画した大経営者であることは間違いない。その中内氏がお手本としたのが小林一三氏だった。中内氏が、「私の理想とする事業家は、阪急グループをつくりあげた小林一三さんです」と口癖のようにいっていたというが、小林一三氏の経営はどのようなものだったのか……。
小林氏が手掛けた事業には「日本初」と形容されるものが多い。
「食料品を中心としたターミナル百貨店」「日本式バラエティーストアーの原型である八〇銭均一ストアー」「宝塚少女歌劇団」「乗客誘致のための住宅開発」「住宅ローン」「車内吊り広告」「高校野球(当時は中等学校)の夏の甲子園」……すべて、小林氏が日本で初めて手掛けた事業であり、さらには、ビジネスホテルの原点ともいわれる、「新橋第一ホテル」も小林氏のアイデアのもとに創業されたものだ。
それだけに、小林氏は「先見性に優れた経営者」と評価されているのだが、単純に先を見るだけの経営者ではなかった。小林氏の経営の原点にあるのは、次のような考えだった。
「世の中で、百歩先の見える人は変人扱いされ、五十歩先の見える人は多く犠牲者になる。ただ一歩先の見えるものだけが成功者である。しかも、そのただ一歩の違いだが、その一歩退いた現在(立脚点)の見えぬものは落後者である」
これは、小林氏が大きな影響を受けた先輩・岩下清周氏の教えだというが、この言葉を忠実に守ることで、小林氏は「先見性のある経営者」になり得たのだ。
どんなに先の先を見通したアイデアでも、事業を手掛けた時点で顧客のニーズがなければ、成功しない。経営の世界では、早過ぎることは失敗のもとなのだ。現状に踏みとどまらず、一歩先の見えるものだけが、成功者になれるのだが、一歩先はどうすれば見えるのだろうか。小林氏の考えは、現在(立脚点)をみれば分かるというものだ。
小林氏が最初に任された事業は、箕面有馬電気軌道(阪急電鉄の前身)だった。路線の、梅田(大阪)から箕面、宝塚間は、当時は本当に何もないところだった。そこで小林氏が考えたのは、どうすれば乗客を集められるかだった。まずは、周辺人口を増やさなければ乗客は増えないと、沿線の住宅開発に乗り出した。一戸建て住宅の販売だが、サラリーマンには購入資金がない。売るためにどうすればいいのか。そこでヒントになったのが、当時盛んに行なわれていた洋服の月賦販売だ。頭金2割、残りを10年で返済、で、新築住宅を売り出したところ、ほぼ完売だったという。
しかし、新しい住宅が完成するまでには時間がかかるし、住民の乗客だけでは電鉄の利益が出ない。そこで、終着駅の箕面、宝塚に乗客を誘致することを考える。箕面には動物園、宝塚には温泉とプールといった具合にだ。宝塚の場合には、顧客を誘致するために各種の博覧会を頻繁にやっていたが、それでも限度がある。そこで何か余興をと考えて生まれたのが「宝塚少女歌劇団」だ。
日本初のターミナルデパート「阪急百貨店」も、現実を見据えて一歩踏み出したものだった。沿線の住民を消費者にしたい…何かないかと考えていたときに目についたのが百貨店だった。小林氏が梅田駅に立っていると、買い物袋を抱えた乗客が数多くいる。そうした人は、駅からはなれた百貨店にわざわざ買い物に行っている。それなら、終着駅・梅田に百貨店をつくればいいと考えたのだ。
先見性は、現実を見据え、一歩先を見つけることで生まれてくることを、小林氏の経営は教えてくれている。
著者プロフィール
疋田 文明(ひきた ふみあき)
有限会社 ABO
経営コンサルタント・元気塾主宰- 日本交通公社(JTB)勤務後、中小企業経営者を対象とした各種セミナーの企画・運営会社等々を経て、1979年に竹村健一未来経営研究会を企画設立し事務局長に就任。1986年に竹村健一氏のもとから独立。現在、フリーランスのライターとして活躍中。
http://www.hikita10.jp
[2009年7月9日 掲載]
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